"オレ"がうつになりまして。

発達障害(アスペルガー)に起因するうつ病で一年弱の休職を経て復職した"オレ"が、 日々の思いや感じることを、がんばらず、無理せず書いています。

背負い込んだものが、重すぎて。

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こんばんは。

 

今日は体調、まあまあです。

先週末ぐらいからどうも調子がよくなくて、金曜、月曜と仕事を休んでしまいました。

 

朝起きて抑うつ感がひどく、辛くて、苦しい。

ただただ、辛く、苦しい。

布団の中で、声にならないうめき声をあげてしまう。

気づけば眉間にしわがよって、苦しい表情になってしまっている。

家族の目があっても、作り笑顔すらする余裕がない。

 

体は動かないし、頭の中ではいろんなことが堂々巡り。

いろんなことが気になっては、すぐに別のことが頭に浮かんでくる。

どれも解決しないままに、頭の中を埋め尽くし、ごちゃごちゃして、でも整理ができず、混乱、不安になる。

 

どうしようもなく、ひさしぶりに頓服のお世話になりました。

 

そんな辛さや苦しみも、午後になればだいぶ楽になります。

すこし笑えるようになっています。

 

 

どうも、最近いろんなことを背負い込みすぎて、その重みに押しつぶされそうになっていました。

オレの思考パターンは、一から十まで自分ひとりでやることを前提として物事を考えてしまいます。

 

それは、自分の成長の一翼を担っていたともいえるのですが、反面ひとりでできることには限界があって、それ以上のことができなかったり、ひとりでは持てない量を背負い込んでしまうことがあったりします。

 

ひとりで持てない量を背負った時、オレは「じゃあ、もっと重い荷物を持てるようにがんばろう、強くなろう」と考えてしまいます。

そのような思考パターンは、結果うつ病の原因のひとつとなりました。

 

今、また同じような思考パターンに陥って、またうつ病に近づいたのかもしれない。

 

 

「背負い込んだものが重かったら、誰かに持ってもらって、いっしょに持てばいい」

先日のカウンセリングで、そのようなニュアンスのことを言われました。

 

ああ、そうか、そうなんだ。

なんでもひとりですべてをやってしまおうとする、オレの思考パターンにはない見方ででした。

 

そうすることで、荷物に押し潰されることなく楽になれるし、ひとりで背負っていた荷物をもっともっと大きなものできるかもしれない。そうしたら、もっと多くの人の力を借りて、多くの人でその荷物を持てばいい。

 

気がついたら、ひとりでは背負いきれないものを背負っていて、その重みに押しつぶされそうになったオレがいた。

 

ひとりで背負いきれなければ、誰かにお願いしていっしょに背負ってもらおう。

そう考えたら、すこし楽になれました。

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

今死んでしまっても、「それはそれでいいか」と思う自分が、いる。

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こんばんは。

今日は体調普通です。

 

普通が一番ですよね。

何事もなく、良くもなく悪くもなく、平凡で、誰も気にも留めないような、誰の記憶にも残らないような、普通の人間になりたい。

ドラえもんの道具に石ころぼうしというものがあったけど、今オレの目の前にそれがあったならば、迷わず被ってしまうだろうなあ。

 

20代の頃は、自意識過剰気味で、根拠の無い自信があって、普通の人生なんて否定していたけれど、今は普通の人生、平々凡々とした、誰の記憶にも残らない人生を歩みたいと思っている自分がいる。

 

 

最近、体の調子がよくて、死にたい、消えてなくなりたいという気持ちになることはほとんどありません。

 

でも、だからといって生きることに執着するようになった訳でもなくて、今、あと3ヶ月の命だと言われても、「ああそうか、でもまあしゃあないかあ」と思う自分がいます。

 

いや、本当にそんなシチュエーションになったら、もっと生きることに執着するのかもしれません。

でも、今のオレは死を受け入れているというか、死ぬことで現世の関わりをリセットできることも、それはそれでいいのかもなあ、なんて思ってしまいます。

 

仕事はだんだん楽しくなってきたし、やりがいもでてきた。

復職を望んでくれて、いろいろと気を使ってくれた社長や同僚にも、ものすごく感謝をしていて、恩返しをしたいと思っている。

家族の笑顔がうれしいと思うし、家族の存在がありがたいと思う。

生きることが、ちょっとずつ楽しいと思えるようになってきた。

 

でも、そんな風に人生に前向きになってきていても、ふと"死"が目の前に現れたら、”死”に対して抗わずに受け入れてしまいそうな自分がいる。

 

この気持、なんなんだろう。

諦め、覚悟、開き直り・・・

どれも合っているような、でもどれも違うような。

 

死にたい、消えてなくなりたいという風に、"死"に対して自分から近づきたいとは思わないのだけど、でも向こうから迫ってきた"死"にから逃げたいとも思わない。

 

なんなんだろう、考えも考えても、わからない。

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

仕事を振ることが、怖い。

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こんばんは。

 

今日は体調、まあまあ普通です。

が、肉体的、精神的に、ちょっと疲れが溜まってきている感じがあります。

 

体調が良くなってきてから、どうもブログの更新頻度が落ちてきます・・・

体調が悪い時のほうが、いろんな辛い思いを吐き出して楽になりたいという気持ちが強くて、それを吐き出すためにブログに綴っていました。

また、体調が悪いほうが、書くことにも困らなかったということもあります。

 

体調が良くなって、吐き出したいことが少なくなってきたこと、頭が回りだして仕事が少しずつできるようになってきたことで、抱える仕事が増え、時間、気持ちの余裕がだんだんとなくなってきて、ブログを書く時間がとれなくなってきています。

 

まあ、体調が良くなってきているとはいえ、少なからず精神的な波もあって、調子がいまいちなこともあります。

ここ一週間程度、どうも仕事を抱え込みすぎて、気持ちの余裕がなくなってきてるなあと感じています。

 

オレの特性として、仕事を他人に振れず、ひとりで抱え込んでしまいがちというものがあります。

うつ病になった原因のひとつにそのことがあると、自分では思っています。

 

なんで仕事が振れないのか。

仕事を振って、他人に嫌がられたらどうしよう?

仕事を振って、断られたらどうしよう?

自分でやった方が早い。

仕事の説明をするぐらいなら、自分でやったほうが楽。

 

など、いろんな理由があると思っていました。

 

でも、先日心療内科に行った時、今日カウンセリングに行った時、それぞれで仕事が振れずにひとりに抱え込むことについて話す中で気がついたことあります。

 

オレは、他人に仕事を振って、断られる、拒否されることが、怖いんだ。

 

仕事を振れない理由がいくつかあったけど、根本的には断られる、拒否される、自分を否定されることへの恐怖があったんだと気がつきました。

 

多分、小さいころのトラウマなんだろうなあ。

いじめだったり、親子関係だったり。

 

そういえば、中学生の頃に学年でキャンプに行くことになって、オレが班長になってしまったことありました。

オレはそういうリーダー的なことはいっさいしたことがなくて、そんなオレをみて先生が選んだんだと思うのですが、その時にキャンプで使う調理道具を班員に振り分けなければいけなかったんだけど、オレはその振り分けができず、ひとりですべての調理道具を持っていった記憶があります。

 

その頃にはすでに、人に頼めなかったんだよなあ。

 

カウンセリングでは、「断られ慣れすることだね」と言われました。

そうだよなあ。

 

そもそも、断られることがオレを拒否や否定していることではないし、ただ相手の時間がないだけなのかもしれない。

 

また、仕事をお願いするんだから、断られてもともとじゃないか。

 

冷静にそう考えてみると、仕事を振ることへのハードルが少し下がりました。

まあ、少しですが。

 

 

オレは今40歳で、社会的には自分がプレイヤーとして最前線で働くというよりは、後方でマネージメントをすることを求められるようになってしまった。

自分ががんばって成果を上げることより、後輩を育てて成果を上げてもらうことを、求められるようになってしまった。

 

気がついたら、歳を重ねていて、オレの立ち位置も、求められるものも変わってきている。

 

正直、人を使うことやリーダーという立ち位置は苦手だけど、がんばってみよう。

うつになって燃え尽きていたオレを呼び戻してくれて、受け入れてくれた会社やスタッフに恩を返すためにもがんばってみよう。

 

そして、これからオレが成長していくためにも、ひとりで抱え込んでまた同じ苦しみを味わわないためにも。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

エネルギーが不足しているのだろうなあ。

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こんばんは。

 

今日は体調、いまいちです。

今週は、どうもいまいちな日が2,3日ありました。

 

会社には行けてますし、いったらいったで仕事はできています。

がんばりすぎている気もするぐらい。

 

でも、朝が調子がよくない。

どうも気力が涌かないというか、億劫な感じがあります。

 

布団から出たくなくて、何もせず、ただただ、ぼーとしていたい。

シャワーを浴びていても、このままずっと何もせずにぼーとシャワーに打たれていれたら、と思う。

 

仕事もだんだん楽しくなってきていて、やりがいもでてきているんだけど、それでも仕事が億劫で、生きることがもう億劫で。

生きることが面倒と思ったり、今死んでもそれはそれでいいか、とも思ってしまう。

 

エネルギーが不足しているのだろうなあ。

だから、何もしたくないし、面倒だし、億劫だし、死んでもいいかと思うんだろう。

 

オレはデフォルトでがんばりすぎてしまう傾向があって、疲れに鈍感で、気がついたらどっと疲れが襲ってくることがあります。

 

過集中で仕事に没頭し、自宅に返ってホッと一息つくと、急に疲れがでてすぐにでも眠れるぐらいになってしまう。

 

そんなことが続くと、いつの間にかエネルギーが回復する量よりも減る量のほうが多くて、エネルギーが枯渇しそうになっているんだろう。

 

明日は休み。

でもいろいろとしなければいけないことがある。

仕事だったり、プライベートのことだったり。

 

明日はがんばろう。

でも明後日は何もせず、だらだらと、テレビをみたり、昼寝をしたり、本を読んだりして、非生産的な一日を過ごそう。

 

無目的で非生産的な時が、エネルギーを充電してくれるだろうから。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

ひさしぶりに仕事を休んでしまった。

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こんばんは。

 

今日は体調いまいちです。

どうも朝から気力がわかず、エネルギーが欠乏している感じです。

昨日は普通でしたが、今朝になってどうもやる気がでないし、億劫な感じがしました。

なんだろう?

疲れが溜まっていたのか?

気付かずにがんばりすぎていたのか?

急に天気が悪くなったからか?

 

 

すこしがんばれば、すこし無理すれば仕事に行けたと思います。

でも、無理せずに休むことにしました。

 

エネルギーがなくなっていて、やる気ができず、億劫な感じになっていると思ったので充電しようと思いました。

 

休みの電話をする前、ひさしぶりに緊張。

これまで何度も休みの電話をしてきたけれど、やっぱり慣れない。

 

何度もがんばろうか、でも無理して明日以降に響いても・・・なんて葛藤がありましたが、無理はしないのが一番と決断し休むことにしました。

 

 

ほんと、ひさしぶりに休んでしまった。

手帳を見返してみたら9月中頃からうつっぽい症状で休んでいなかったので、4ヶ月ぶり。

ああ、休んでしまった。

でも、まあ、しょうがない。

 

いつかこんな日が来るとは思っていたし、今回は4ヶ月も休んでいないじゃないか。

 

また明日からがんばろう。

でも、無理せずに。

 

今日の残り時間は、ゆっくりと充電しよう。

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

なにもしない、という選択。

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こんばんは。

今日も体調、普通です。

 

今年初のブログ更新です。

だいぶ遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

 

気がつけば、正月が終わり、仕事が始まり、いつもの日常が始まっています。

普通の日常です。

そこそこの忙しさ、そこそこの楽しさ、そこそこの怠け具合。

そんな、そこそこの日々を送れていることが、ただただありがたく、幸せと感じます。

 

 

新しい年が始まって、いろんな決めなければいけないことが仕事上でもプライベート上でも溢れています。

日々、大きなこと、小さなこと、いろんな選択が目の前に現れます。

で、どれにすればいいのか、考えに考えて選択するのですが、ふと、なにもしない、選択しないというのも、ひとつの選択肢なんだと、最近思えるようになりました。

 

以前のオレは、選択肢があれば、どれを選べば最善なのか、という"選ぶこと"を前提で考えていたんだけど、最近は、なにもしないことで状況が変わってくることもあるのだとわかってきました。

 

何もせずに、選択せずに、っていうことがよくないことで、それは優柔不断なことだと思っていたけど、でも何もせずにいることで状況が変わることもあるってわかってからは、すこし楽になれた気がします。

 

選択できない自分を責めていた時期もあったけど、なにもしないってことも、それはそれでありなんだろうなあと思います。

 

そもそも、なにが良くてなにが悪いのかなんて、死ぬ直前に分かることであって(いや、死ぬ直前でもわからないのかも)、良いと思ったことが悪いことだったり、と思えば良いことだったり。

 

万事塞翁が馬ってやつですよね。

 

そう思うと、いろんなことが楽になる気がします。

 

取り留めのない話ですみません・・・

なんか、決断力、行動力があることがいいって子供の頃から刷り込まれて生きてきて、でもそんな力を持てず、そんな自分を責めてずっと生きてきたんだけど、決断しない、行動しないというのでもいいじゃないかと思えるようになってきたので、そんな思いを思うままに書き綴ってみました。

 

ものごとはいろんな面があって、決断力がある、行動力があることが必ずしもいいわけじゃない。

だから、学校にいる、"先生"なんて呼ばれて喜んでいる人から、決断力がある、行動力がある人間になれ、なんて言われても、必ずしもそうなる必要はないと思います。

 

決断力がない、行動力がない、それは別の側面から見れば、熟慮する、じっくりと考える力があるとも言えるんだから。

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

仕事納めと、この一年を振り返ってみて。

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おはようございます。

今日も体調、まずまずです。

 

昨日仕事納めでした。

例年、12月は忙しくてあっという間に過ぎていきます。

今年も同じく、いや年齢を重ねた分、更に早くなっているかも。

気がついたら12月は終わり、何ができたんだろう?と自問してしまいます。

 

同様に2015年も気がついたら終わっていた、という感じです。

 

 

一年が過ぎました。

あっという間だったなあ。

どうもまだ今年の仕事が終わったという実感がありませんし、気持ちが休みモードになりきれていません。

 

いろいろありましたけど、心療内科を変えて、相性のいい先生に巡り会えましたし

、オレのうつがアスペルガー症候群の原因に起因する二次障害だと診断され、今までのうまくいかなかったこと、自分はおかしいと思って自分を責め続け、否定し続けたことの理由がわかりホッとしましたし、薬を変えて離脱症状で死ぬ思いをしましたが、薬が抜けてからは体調もよかったりと、まあほんと、いろいろありましたけど、なんとか生きています。

 

生きていればいろんなことがあって、まあでもそれは自分にとってなにかしらの経験となって、自分というものをかたちづくり、オリジナルなものになっていく。

 

いろんな人がいていいと思うし、人と違っていても、それはそれでいいじゃないの?と思います。

 

みんながそう思えれば、人と違っている人、マイノリティな人が否定されることも無いだろうし、共存していけるんだけれど。

しかし現実はそうじゃなくて。

 

「まあ、いいか。なんとかなるさ。」

この言葉で、すこしずつ楽に生きられるようになってきました。

 

来年も、さらに楽に生きられよう、"いい加減"に、適当に、ぼちぼちがんばります。

 

 

今年一年、ツラツラと綴ったブログでしたが、沢山のコメントいただきました。共感していただいたり、楽しみに読んでいただいたり、涙が出たなんていっていただいたり、ほんとうれしかったです。(同時にものすごく照れくさかったです(笑))

 

みなさんの言葉が、どれほどオレの助けに、支えになったかわかりません。

ありがとうございました。

 

オレは周りから否定されることが多くて、自己肯定感がほとんどなく今まで生きてきました。

でも、うつになって休職、復職したことの苦しみや辛さをブログに綴ったことで、そこに共感いただき、言葉をいただいたことで、すこしだけ自己肯定感をもらうことができました。

 

今のオレでもいいのかもしれないという思い、今のオレが誰かの役に立っているかもしれないという思いを持てるようになりました。

 

本当にありがとうございます。

コメントをいただいた方、読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

 

おそらく、このブログを読まれている方は、自分もしくは身近な大切な人のことで辛い思いをしているのだろうと思います。

辛さは、人それぞれだし、年齢なんて関係なく、辛いものは辛い。

 

でも、ずっとその辛さを抱えているのは、もっと辛い。

時には気を抜いて、「まいっか、なんとかなるさ。」と考え、辛さをちょっとだけ棚上げしてしまうことも、楽に生きるためには必要なんじゃないかと思います。

 

みなさんも、来年はもっと楽に生きられますように。

"いい加減"にがんばってください。

けっしてがんばり過ぎずに。

時には気を抜いて、ダラダラと、無目的、無計画に、非生産的に過ごしてみてください。

 

では、良いお年を。

 

 

今年一年、読んでいただき、ありがとうございました。