なにもしない、という選択。
こんばんは。
今日も体調、普通です。
今年初のブログ更新です。
だいぶ遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
気がつけば、正月が終わり、仕事が始まり、いつもの日常が始まっています。
普通の日常です。
そこそこの忙しさ、そこそこの楽しさ、そこそこの怠け具合。
そんな、そこそこの日々を送れていることが、ただただありがたく、幸せと感じます。
新しい年が始まって、いろんな決めなければいけないことが仕事上でもプライベート上でも溢れています。
日々、大きなこと、小さなこと、いろんな選択が目の前に現れます。
で、どれにすればいいのか、考えに考えて選択するのですが、ふと、なにもしない、選択しないというのも、ひとつの選択肢なんだと、最近思えるようになりました。
以前のオレは、選択肢があれば、どれを選べば最善なのか、という"選ぶこと"を前提で考えていたんだけど、最近は、なにもしないことで状況が変わってくることもあるのだとわかってきました。
何もせずに、選択せずに、っていうことがよくないことで、それは優柔不断なことだと思っていたけど、でも何もせずにいることで状況が変わることもあるってわかってからは、すこし楽になれた気がします。
選択できない自分を責めていた時期もあったけど、なにもしないってことも、それはそれでありなんだろうなあと思います。
そもそも、なにが良くてなにが悪いのかなんて、死ぬ直前に分かることであって(いや、死ぬ直前でもわからないのかも)、良いと思ったことが悪いことだったり、と思えば良いことだったり。
万事塞翁が馬ってやつですよね。
そう思うと、いろんなことが楽になる気がします。
取り留めのない話ですみません・・・
なんか、決断力、行動力があることがいいって子供の頃から刷り込まれて生きてきて、でもそんな力を持てず、そんな自分を責めてずっと生きてきたんだけど、決断しない、行動しないというのでもいいじゃないかと思えるようになってきたので、そんな思いを思うままに書き綴ってみました。
ものごとはいろんな面があって、決断力がある、行動力があることが必ずしもいいわけじゃない。
だから、学校にいる、"先生"なんて呼ばれて喜んでいる人から、決断力がある、行動力がある人間になれ、なんて言われても、必ずしもそうなる必要はないと思います。
決断力がない、行動力がない、それは別の側面から見れば、熟慮する、じっくりと考える力があるとも言えるんだから。
読んでいただき、ありがとうございました。