自分ががんばりすぎてしまう理由がわかった。
こんばんわ。
今日は、体調普通です。
今日は週の中休み。仕事に行かないくていいというだけで、仕事のプレッシャーから開放されたせいか、朝のしんどさ、なんとなく仕事にいきたくないなあという気持ちが湧いてきませんでした。
仕事自体の負荷はだいぶ減らしてもらっていますが、朝起きて、仕事に行かなければいけないというのが結構プレッシャーになっているようです。
もうほぼ条件反射的です。仕事に行かなければと思った途端に、条件反射で不安感に襲われる。
パブロフの犬のようです。(笑)
さて、この前の日曜日、カウンセリングにいってきました。
今週あったことなどを話している中で、偶然、どうしてオレは仕事をがんばりすぎてしまうのかが分かりました。
オレが仕事観として強く持っているのは、仕事はがんばらなければならないもの、責任をもってやり遂げなければならないもの、自分の時間を犠牲にしてでも仕事に打ち込まなければならないもの、というものでした。
「なぜ、そう思うようになったんでしょう?」
先生は問いかけました。
すぐに思い浮かんがのは、今勤めている会社の社長。オレが社会人になって初めて勤めた会社が今の会社なんですが、入社した当初は社長を含め正社員は5人、会社設立から8年目でした。小さな会社で社長が起業して作った会社です。
いわゆるベンチャー的な会社だったんですが、どのベンチャー企業の社長もそうだと思いますが、バリバリ働きます。
そりゃ、社長ががんばらないと会社が傾くかもしれませんからね。
そんな背中をみて15年ほど仕事をしてきました。
「お父さんはどうでした?」
先生が次の問を投げかけてきます。
父は大工で自営業なんですが、オレの小さいころの記憶に父親と遊んだ記憶がほとんどありません。父親との思い出の定番であるキャッチボールも、一回しかした覚えがありません。
小さいころの父の思い出といえば、常に働いていたなあというものばかり。自宅の敷地内に事務所や作業場があったんですが、晩御飯を食べたあとも作業場で木を加工していたり、事務所で図面を書いていたりしていました。
また、ふと学生時代にバイトをしていた居酒屋の大将を思い出しました。そこは個人でやっている小ぢんまりとしたお店で、カウンター8席、座席16席の広さでそれを大将とバイト二人でまわしていました。
ここの大将もめちゃくちゃ働いていて、月に2日しか休みを取らず(店を閉めず)、また昼と夜の営業でしたので、10時頃から仕込みが始まり、14時に昼の営業が終わり。16時頃から夜の仕込みで23時半が閉店時間。それからバイトの賄いをつくったり、売上を集計したり。結局店を出るのは12時半すぎだったんじゃないでしょうか。
そんな、今思えば無茶な働き方をされていました。でも、自営だから休むことイコール収入減なので、簡単には休めなかったんだ思います。
オレが"働くということ"の基準にしていたのは、どうやらこの三人だったようです。特に父親の影響は大きかったのでしょう、父親の働く様子を子供ながらにみていて、働くことはこういうことなんだと自然と刷り込まれていたんだと思います。
オレは、小さい頃から起業した人(父親、大将、社長)をみて生きてきて、そのなかで知らず知らずその人たちの働き方が、オレの中の”働くということ”のデフォルトとなってしまっていたようです。
つまり、働くというのは、必死にがんばることで、責任をもってすることで、長時間、自分の時間を犠牲にしてでもがんばることなんだと思うようになっていました。
先生にそのことを言われると、自分がなぜ仕事に対して責任感を持ちすぎ、真剣に取り組みすぎ、がんばりすぎたのかが腑に落ちました。
仕事はがんばるものと思って生きてきて、がんばってそれなりに結果も出し、出世もしてきたんだけど、ある時いろんなものをひとりで抱え込みすぎて、うつになってしまいました。
がんばるのはいいことだけど、がんばりすぎたのがよくなかった。
過ぎたるは及ばざるが如しとは、昔の人はうまいことをいったもんです。
その三人の背中をみて生きてきたことについて、後悔というか、否定的な感情はありません。
子供の頃にいろんな嫌な出来事があって、自分の殻に閉じこもり、自分に自信を失い、無気力になっていたオレだけど、そんなオレでもやる気になってがんばることができ、ちょっとは自分に自信を持てるようになったのは、三人のおかげでもあるし。
ただ、がんばりすぎたのがよくなかったんだろうなあ。
うつ病になって、今もうつ病と付き合って生きていますが、これからは"がんばらないように"がんばって生きていこうと思っています。
読んでいただきありがとうございました。