小、中学時代のいじめや嫌がらせの傷が今だに癒えないでいる。
こんばんは。
今日は、体調まあ普通です。
朝目が覚めて、いまいち起き上がる気力がわかず、いつもより30分ほど布団にいました。
気を抜けば、抑うつ感が強くなって休んでしまいそうでしたが、なんとか気力を振り絞って起き上がり、考えこまないようにと、とりあえず準備のため体を動かし続けて、会社に行けました。
でも、いつも以上に疲れました・・・
さて、復職直前から、毎週一回カウンセリングにかよっているのですが、その中で自分の生育歴を話すことがあります。
そのため、子供時代の出来事や印象に残っていることを、思い出した時にノートに書き留めています。
カウンセリングの先生は、オレの人生の中で数少ない信頼できる方で、会って数回なのに、誰にも話したことがないようなことも話していました。
その中で、子供時代の頃を話しているうちに、いじめや嫌がらせを受けていたことを話したことがあります。
カウンセリングを受けるまで、オレの中では、"いじめ"だったと認めたくなかった気持ちもあってか、"いじめ"という言葉を使わず、"いやがらせ"という言葉を使っていました。(もちろん、誰にもそんな話をしたことがないので、オレの頭の中だけの話ですが)
でも、カウンセリングの中でいろいろと話をするうちに、初めて"いじめ"という言葉を使っている自分がいました。
内気で、人見知りで、消極的で、勉強も好きじゃなく、運動も苦手で、目立たない子供だったので、ちょっと力の強い人間や、そんな人間にくっついている虎の威を借る狐のような人間、大人の前ではいい子を装うずる賢い人間などに、いろんな嫌がらせを受けました。
相手は、おそらくふざけていたぐらいにしか思っていないだろうし、オレがどれだけ傷ついていたのかなんて知らないだろう。
ましては、いじめだなんてこれっぽっちも思っていないんじゃないだろうか。
でも、あれはいじめだったんじゃないかと、最近思えるようになった。
その時の傷が、40歳になった今もトラウマになっています。
強面の人が怖かったり、声がでかい人が怖かったり、高圧的な人が苦手だったり。
そんな人達に何か言われると、「自分が悪かったんじゃないか」と反射的に思ってしまう自分がいます。
また、誰かに仕事を頼むときも、反射的に「コレを頼んだら、迷惑がられないかな?嫌われないかな?」と、拒否されることを必要以上に恐れています。
そして、拒否されるぐらいなら、自分でやってしまおうと考えてしまい、必要以上に仕事をひとりで抱え込んでしまいます。
その結果、うつになってしまいました。
いじめ、嫌がらせを受けて、拒絶、拒否された経験が、今だに心に傷として残っていて、癒えていません。
今だにそのトラウマの呪縛から逃れられず、今だに苦しんでいます。
心の傷って、そう簡単には癒えないんですね。
でも、最近いったお店に書いてあった言葉で、すこしだけ心の傷が癒やされました。
うろ覚えなんですが、「辛いことを知っている人は弱いのではない。人の痛みの分かるやさしい人なんだ」といった言葉でした。
いじめ、嫌がらせでとっても辛い思いをしました。
中学時代には、こんな最悪のパターンがあるのかとも思えるようなこともあったりして、なんというかもう生きることに無気力になっていて、かといって死ぬ勇気もなく、イヤなことは我慢して、親も先生も友達も信用できず、孤独に、ただただ惰性で生きているだけでした。
でも、そんなたくさんの辛いことを経験し、それらは一面ではトラウマとなってオレを苦しめているのだけど、またある一面では、自分がやられて嫌なことは人にはしない、というオレの信念にもなっていて、それは人の痛みの分かるやさしさを身につけたということなんじゃないかなと、思えるようになりました。
といっても、いじめられたこと、嫌がらせされたことを、肯定したり受け入れたりすることは、やっぱりできませんが。
いつかは乗り越えたい壁だと思っていますが、今はいじめられたこと、嫌がらせをうけたことで、人の痛みのわかるやさしさを身につけられたという面が、間違いなくあるのだということだけは、受け入れようと思います。
そうすることで、ちょっとでも今の自分を認めてあげることができると思うから。
読んでいただき、ありがとうございました。