死にたいという気持ちは、突き詰めると、すべてを終わりにして楽になりたいということなんじゃないだろうか
おはようございます。
今日は体調、普通です。
精神的には普通で落ち着いていますが、ちょっと熱っぽくて頭痛がします。
このブログが2014年の6月から始めたんですが、もう半年以上過ぎていて、今日時点で約13000のアクセスをしていただいていました。
また、共感しましたというコメントをいただくこともあって、そんな時は「こんな気持はオレだけじゃないんだ!」という安心感と、「オレの書いていることが誰かの安心につながっているかもしれない!」という喜びを感じます。
まあ、ただ単純に嬉しいです。
ブログを書いてきてよかったなあと、ただただ嬉しく思ってしまいます。
さて、このブログに検索でたどり着いた方の検索ワードを見ていると、ほとんどの方が仕事やうつで苦しんでいるような感じです。
いろんな検索ワードがありますが、「死にたい」「消えてなくなりたい」「楽になりたい」といったワードが結構多いことに気が付きました。
どのワードも、共感しまくりです。
死にたいという気持ちは、オレも何度もなっていて、検索したこともあります。
で、今日は体調が普通なので、冷静に死にたいという気持ちについて考えられるのですが、死にたいって気持ちは、この世から消えてなくなって、この世のすべての関係性を終わりにして、楽になりたいってことなんじゃないかなあと思うんです。
この世のすべての関係性を終わりにして、楽になりたい、その"手段"としての死。
決して死ぬことが本来の"目的"では無い気がするんですよね。
だって、死ぬのって痛いし、怖いじゃないですか。(まあ、調子が悪い時に死にたいと思っている時は、痛みや怖さなんて考えもしないもんですが)
だから、いろんな事情でしんどい時に死を選ぶのではなく、関係性を終わりにすることで死ななくてもすむんじゃないかと思うんです。
例えば、会社を辞める、誰も自分を知らない場所に引っ越しする、離婚する、失踪してみるとか・・・
つらいと思う関係性を切ってしまう。そうすることで、死ななくても済むし、とりあえず生きたままで、すこしは楽になれるんじゃないかなあ。
まあ、生きているので、死んで人生を終わりにしたい、という欲求は叶えられないけど、生きていればいいことがあるかもしれないと思うんです。
でも死んじゃうと、これからあるかもしれないいいことを知らずに、終わってしまう。
死ぬたいぐらいつらいことからなら、逃げていいんじゃないかと思います。そんなこと我慢する必要なんて無いし、がんばる必要もない。
逃げたらとりあえず楽になれるんじゃないだろうか。
その後のことは、その後で考えればいい。
オレの今年の目標のひとつに「死なない」というのがあります。
でも死にたくなることもあると思います。
そんな時は、自殺電話相談など電話してみる、残される家族のことを考えてみる、なにもせずゆっくり休む、と対策を立てています。
そして、死にたいほどつらいなら、逃げようと思います。
そうすれば、とりあえず死なずに、楽になれると思うから。
読んでいただきありがとうございました。