カウンセラーの先生には、なんでも話せる自分がいる。
こんにちは。
今日は体調ちょっといいです。
年末の忙しい中、週半ばの休みをいただいて、今日はゆっくりと過ごしています。
世の中はいつの間にかクリスマスムードですね。家の中や会社にいる時にはそんな雰囲気は全く感じないのですが、ちょっと外出するとクリスマスソングが耳に入り、飾り付けの赤と緑がカラーが目に飛び込んでくると、ああクリスマスが近いんだなあ、なんて改めて感じます。
今、youtubeでクリスマスソングの定番特集を流しながらブログを書いています。仕事中のように時間に追われたり、作業に追われたりせず、ゆったりとした気分でいることができます。
こたつに入り、今年買い替えた無印のアロマヒューザーからグレープフルーツの香り漂ってきています。
コーヒーとクッキーが、ゆったり気分をさらにゆったりしたものにしてくれます。
いつもこんな風に心が穏やかであったなら、どれだけ楽に生きられるのだろう。
さて、この前の日曜日、カウンセリングにいってきました。
実はカウンセリングに通うようになって気がついたことがあります。それは、先生の前だといろんなことを話している自分がいるということ。
オレは、自分の気持ちや思ったことを自分で抱え込みがちで、人に自分の気持ちを伝えたり、相談したりすることができない人間です。
でも、そんなオレが先生の前だと、いろんなことを話すことができます。子供時代のこと、いじめられていたこと、弟との確執、親との関係、などなど、いままで誰にもいったことがないことを話しています。
おそらく中学の頃からだろう、オレは人間不信になって、心を閉ざして生きてきました。
それは39歳の今も続いていて、人に相談したり、悩みを打ち明けたりということが、なかなかできません。心のどこかで他人を信用できなくなっている自分がいます。
中学の時、帰り際に友人からかなり強引に引き止められ、問い詰められ、好きな人を白状させられたことがありました。その無理矢理なやり方に、友達と思っていたその人との人間関係の優越を否が応にも感じさせられました。その人はオレを友人としてではなく、下に見ていたのかもしれません。
自分の殻に閉じこもり、自分を出すことなく生きてきたオレが、好きな人を誰かにいうなんて、恥ずかしくて仕方ありませんでした。
「絶対誰にもいわないで」といい、その日は帰してもらいました。
でも翌日、クラスの数人がオレの好きな人が誰なのかを知っていることに愕然としました。
恥ずかしさと同時に、人間は信用できないという思い。
まあ、そんなこともあり、他人を信頼することができず、気を許せる相手を持つことなく、今まで生きてきました。
また、大学時代には、だいぶ人間不信も少なくなってきていたと思うのですが、仲の良かった友人に「君は謎だ」と言われたことがあります。
当時も、仲の良かった友人にさえ心を開くことはできませんでした。
そんなオレが、カウンセラーの先生には大概のことを話すことができます。それは五ヶ月近くのカウンセリングを通して、信頼関係が築けてきたからだと思います。
毎週のカウンセリングで、一週間のいろんな溜まったことを吐き出しています。そうすることで次週からもなんとかやっていけています。
先生は、「ここはゴミ捨て場のようなもの。みんなここに来て、貯まったゴミを捨てていくのよ」と笑っていました。
言い方は悪いかもしれませんが、僕にとってもゴミ捨て場のような場所なのかもしれません。
ずっと誰にも言わずに独りで抱え込んできた39年分のゴミを、一気に吐き出しているような感じなのかなあ。
読んでいただきありがとうございました。