"オレ"がうつになりまして。

発達障害(アスペルガー)に起因するうつ病で一年弱の休職を経て復職した"オレ"が、 日々の思いや感じることを、がんばらず、無理せず書いています。

マイノリティーが認められない環境で生きてきて。

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こんばんは。

 

今日も体調普通です。

お盆休みということで、13日から16日まで休みです。

 

妻と子供は実家に帰り、独りの時間を満喫しています。

妻も実家にオレを連れていきたいところだと思うのですが、独りが好きな、独りになることが必要なオレに、独りの時間をくれた気遣いに感謝しています。

 

大人になると、ましてや結婚すると、いろんなしがらみができて、しなければいけないことが増えてくるもんですが、オレのような協調性のない非社会的な人間には、そういうのが結構しんどかったり、どうやったらうまく立ち回れるのかがわからない。

 

そんなオレの性格を理解してくれている妻や妻の実家には、申し訳なく、そしてありがたく思います。

 

 

オレは、18歳まで実家で過ごし、高校を卒業と同時に家を出ました。

18歳まで過ごした地元には、ほとんどいい思い出がありません。というか、ほとんど記憶がなくて、あっても嫌なことばかり。

記憶を封印してしまっているかもしれません。

特に小学校、中学校の9年間は、辛い思い出しかありません。

 

カウンセリングで、生育歴を話すのに過去のことを思い出す作業をしているのですが、小中の記憶が少なく、あっても辛いことばかり。

オレの小中時代といえば居場所は学校か自宅しかないのですが、そのどちらも辛いことしか思いだせないんですよね。

 

オレの実家は、まあステレオタイプな田舎で、同じ地域の人は大概顔見知り、なにかすれば(良いことにしろ、悪いことにしろ)すぐにみんなに知れ渡るようなところです。

 

実家を出て20年以上経つのですが、実家に帰る度に(40歳になり、結婚して子供ができていたりすると、こんなオレでも若干の社会性と親を思う気持ちが湧いてくるようです)、「小中と仲の良かった◯◯くんは、△△で××をしている」なんてことを聞かされます。

 

小中の頃の同級生(ほぼ同じメンツで、2クラスなのでみんな顔は知っていました)とは、高校を卒業後全く疎遠で、同窓会の誘いも何度かありましたが、行っていません。

実家を出てから一度同窓会の誘いの電話がかかってきたことがありましたが、その人の名前と顔はうっすらと覚えているのですが、どんな人だったかイマイチ思い出せず、「◯◯だけど、覚えてる?」と言われ、「あ、はい、覚えていますよ」と敬語で答えました。同級生に敬語という時点で、距離を置いてますよね。

で、同窓会は、遠方だし、忙しいので、と丁重にお断りしましたが、オレの正直な気持ちとしては、全く行きたくないし、今更地元の同級生となんか会いたくないし、会ったとして、どんな自分を演じればいいのかわからない。

当時の自分を演じればいいのか、今の自分でいけばいいのか、どういう距離感で接すればいいのかわからない。

 

まあ、ろくな思い出のない小中学校時代の同級生と会うことは、当時の自分を否が応でも思い出さずを得ず、なんで好きこのんでそんな辛いことをする必要があるのか、その時のオレには理由が見当たりませんでした。

 

あ、今でも、出席したいとは思いませんが。

 

 

オレが過ごした約30年前の田舎というのは(まあ、地域にもよると思うのでオレが過ごした地域ということで書きます)、マイノリティーが認められるような土壌はなくて、マジョリティが権力を握り、マイノリティーは否定されるような土地、時代でした。

そんな環境で、活発でない、人の輪にうまく馴染めない、運動ができない、勉強できるわけでない内気なオレは、普通じゃないダメな人間として認識されていたと思います。

 

当時クラス内で5,6人の班を設けていたのですが、その班のメンバーを決める方法が、好きな人から順番に指名していくという方法でした。

で、オレは最後のほうまで残るのですね。

これ、経験したことがないとどれだけ辛いかわからないんじゃないでしょうか。

だって、皆の目の前で、自分が好かれていない、人気がないのだということが明らかになり、そんな自分はダメな人間なんだと、自他共認めざるをえないのですから。

言ってみれば、公開処刑ですよね。

 

マジョリティが正しくてマイノリティーが間違っているという雰囲気、だからマイノリティーはマジョリティに融合されるべきという雰囲気、それは30年前という時代の特性なのか、田舎という特性のものなのか、両方なのか、それ以外の要素なのかわからないんですけど、マイノリティーなオレには、生きにくい、辛い時間でした。

 

 

それから実家を出て、一人暮らしをして専門学校に行っている間にいろいろ思うところがあり、予備校を経て大学に入学しました。

 

田舎ではない地域にある入学した大学は、美術学部もあったので変わった人が多く、また地域柄か変わっていることが否定されることはなく、大学の雰囲気と地域柄からか、変わっていることが好意的に受け取られ、おもろいと受け入れてくれる土壌がありました。

 

やっと、ありのままの自分でもいいんだと思えるようになりました。

 

 

マイノリティーであることが即、間違っている、ダメだという雰囲気って、その時にマイノリティーでないと、それがどれだけの辛さなのか、実感できない感覚だと思う。

多数派への同調意識によって、周りと違う自分はダメなんだと否定しがちになるし、自己肯定感が全くといっていいほど育成されない。

 

 

実家を離れて22年経ち、ふと親の年齢や自分が長男であること(ああ、オレは長男だったんだよなあ)を思い出して実家に帰って家を継ぐをことを考えたりするのですが、(40年も生きると、非社会的な人間でもそんなことも思うようになるようで)正直なところどんな自分で、あの土地で生きていけばいいのか、わかりません。

今のオレもマイノリティーだと思うし、あの土地がマイノリティーを許容するようになっているとは思えない。

 

戻って同級生と会えば当時の自分を思い出さざるをえないだろうし、当時の人間関係の中で生きるのは、もう辛い。

 

過去の自分に戻るのは、辛いなあ。

 

自分でもいいんだと思えるようなところで生きていきたいなあ。

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。