自分を恥ずかしい存在と思う。
こんにちは。
今日は体調、いいです。
このところ、体調がいい日が続いています。
処方してもらっているストラテラという薬が効いているのか、以前飲んでいた薬がだいぶ抜けてきたのか、もしくは梅雨が終わったからか。
いろんな原因が考えられるなあ。
そういえば、エゴマ油を朝食時にサラダにひとさじかけているのも、効いているのかも。
頭が回るので、もの事を順序立てて考えられます。
例えば、歯を磨くにしても調子の悪い時は、歯ブラシをとって、歯磨き粉をつけて、口にいれて、という動作を考えないとできなのですが、今は普通に体が動きます。(普通ってすばらしい!)
また、朝起きて倦怠感や疲労感がありませんし、気分が落ち込んでしまうこともありません。
まあ、いままでの経験上、山あれば谷ありで、調子いい時の後には調子の悪い時がやってきますので、まあそのうちそうなるだろうと覚悟しつつ、日々を過ごしています。
でも、この調子がずっと続けば、このままうつが治れば、なんて甘い期待もなくはないのですが。
先日カウンセリングで、小学生ぐらいの頃に自分を恥ずかしい存在と思うようになったことを話しました。
オレが育ったのは田舎のほうで、同調意識が強い環境でした。
近所の家は大抵知り合いで、誰それの息子は◯◯で、なんてことがすぐに広まってしまうようなところです。
また、学校も、先生のいうことをよく聞く、周りと協力できる、積極的にものごとに取り組む、勉強や運動をがんばれる、元気でやる気がある・・・そんな、大人の目からみたいい子、「そりゃそうでしょうよ」としかいいようがない子が良いとされ、そうじゃないとダメだという価値観を押し付ける環境でした。
周りと同じようにしていることがよい、周りと協力することがよい、周りと違うことをしてはダメ・・・というような環境で生きているうちに、そういう風に刷り込まれていきました。
そして、周りと協力できない、周りから浮いている、周りと違うことをしてしまうオレは、自分はダメな人間なんだと思うようになり、自己肯定感を持てなくなりました。
そしてある時、母親から言われた言葉で、自分が恥ずかしい存在なんだと思い込む出来事が起こりました。
生徒の親も参加するバレーボール大会があり、周りに馴染めないオレは、輪に入れずひとりでポツンとしていました。
そんなオレを見た誰かの親が、「あの子、ひとりでどうしたんだろうねえ?」みたいなことをオレの母親に言ったらしいんです。
で、家に帰ってから、「こんなことを他の親御さんから言われ、自分の息子だと言えず、恥ずかしい思いをした。」と母親から言われました。
この時、「ああ、やっぱりオレは周りの輪にうまく入れなくて、ダメな人間で、恥ずかしい存在なんだ・・・」と強く思いました。
もし、先生や友達から言われていたら、恥ずかしい存在とまでは思わなかったかもしれません。
でも、オレとしては信頼していた母親から「あんたのせいで恥ずかしい思いをした」と言われたことで、オレは恥ずかしい存在なんだと決定づけられた気がしました。
おそらく、母親も内気な人間なので、自分の子供が悪く言われたことで自分が責められているような気持ちになり、オレにあたったんだろうなあと今なら思えます。
でも、当時のオレは、信頼している人に否定され、自分は恥ずかしい存在でダメな人間なんだと烙印を押されたことで、オレの中で何かが壊れ、もうどうでもいいやという、諦め、人生を降りた気持ちになりました。
この頃からかなあ、あらゆることに無関心になり、無気力になっていたのは。
このことをキッカケに、母親に対してはまだ持っていたであろう信頼はなくなり、母親は周りの生徒、先生などと同じような信頼できない人間のひとりになった気がします。
この時、母親にかばってもらえていたら、今のオレは違っていたかもしれないなあ。
信頼していた人に否定されるのは、辛いですね。
信頼していた人の言葉だけに、自分には強く影響を与えるし、信頼していた人を信頼できなくなることは、辛い。
人と違う自分はダメな人間なんだ、恥ずかしい存在なんだという価値観は、今のオレの自信のなさ、自己肯定感のなさの根底にあります。
そして、そのような価値観が、うつの原因のひとつでもあるのだろうなあと思います。
今、カウンセリングを通して、今の自分、ありのままの自分でもいいんだと思えるようになるように、ちょっとずつ修正してもらっています。
40年の積み重ねでちょっとずつできあがった価値観、性格はすぐには変わらないけど、でもちょっとずつ変化してきている気がします。
いつか、自分は恥ずかしい存在ではないんだと思える日がくれば、と思います。
読んでいただき、ありがとうございました。