"オレ"がうつになりまして。

発達障害(アスペルガー)に起因するうつ病で一年弱の休職を経て復職した"オレ"が、 日々の思いや感じることを、がんばらず、無理せず書いています。

気がつけば、復職して3年が過ぎた。

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おはようございます。

 

今日も体調ぼちぼち普通です。

いつからか蝉の声が聞こえ始め、じっとしていても汗が滴り落ちる。もう夏なんだなあ。

先日、復職して3年が経ち、4年目に入りました。
「ええ?もうそんなに!」というのが正直なところです。
とにかく1日1日をなんとかがんばって、そして気がついたら3年が経っていた、という感じです。

振り返ってみると、「なんにもできていないなあ・・・」なんて落ち込みますが、でもまあそれは、オレの認知が『できたものは見ず、できなかったことを見る』となっているからだろう。

3年間、なんとか会社に行って(よく休んでいますが)、多少なりとも仕事をしてきたので(結果はどうあれ)、今はそれで及第点としようと思います。

 

復職した当初よりは仕事ができるようになりましたし(そう思っているのはオレだけ?)、仕事を休みことがかなり少なくなりました。

とにかく1日1日を、ぼちぼち必死にがんばってきて、3歩進んで2歩下がる、時には3歩進んで5歩下がったりして、ほんとに小さなことがちょっとずつ積み重なってきた結果が、3年という月日なんだと思います。

 

とりえず、まだ生きていて、仕事にも行けている。
それで、今は充分としよう。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

「ちゃんと怠けないと」と、思ってしまう自分がいる。

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こんばんは。
今日は体調普通です。

気がつけば、もうすぐ今年も半年が過ぎ去ろうとしていますね。

日々なにかと忙しく(自分で忙しくしているのかもしれませんが・・・)、目の前のことをこなして、必死に生きています。

ああしよう、こうしようなんていろんなことを思うのだけど、でもいつも思ったように、思ったほどできず、できなかったことだけを見て、ダメだ・・・と自分を責めています。

でもまあ、そんなオレでもなんとかやっています。

できないものはできない。
それはしょうがないと思えるようになって、以前より自分を責めすぎないようになったことは、大きな成長なんじゃないかと思います。

まあ、不惑を過ぎて、今更"成長"なんて言葉を使うのもおこがましいですが。("成長"じゃなくて、"老化"なんですよね・・・)

 

今日カウンセリングにいってきました。

現在は2週に一度通っています。
オレは普段無口ですし、誰かに自分の思っていることを素直にいったり、相談したりすることができない人間なのですが、カウンセリングではいろんな思っている事を、素直に話すことができます。

そうやって思っていることを話すことで、自分の中で整理ができて、気持ちが落ち着き、次の2週間を過ごすことができるようになります。

 

今日のカウンセリングで、休日に休めていないという話をしました。
休日は、休みの日。
何もせず、だらだらと、好きなように過ごせばいいはずなのに、休みの日は「ちゃんと怠けないと」と思ってしまう自分がいます。

怠けることをちゃんとするという、どうも矛盾したことをしようとしています。

怠けなければいけないという風に、"〜しなければいけない"という義務感が、怠けることにまで発動してしまっている。

 

考えすぎなんだろうなあ。
考えすぎた結果、自分の自然な欲求がわからなくなっていたり、それを理性で押さえつけようとしているのかもしれない。

 

今日はもうゆっくりとお風呂に入って、考えすぎないようにしてみよう。
身体と頭を休めよう。
ちょっと疲れているのかもしれないなあ。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

休みは、体と心を休めよう。

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こんにちは。
今日は体調、まずまずです。

 

ここ2週間ほど体調が良くなかったのですが、ここ2、3日でやっと楽になってきました。
抑うつ感や倦怠感、無気力で、同時に喉の痛みや咳、発熱と、身体も心もしんどい状態が続いていました。自分でも何が何だかよくわからず、ただただしんどく、仕事も2日ほど休んでしまいました。

 

精神的なものだけじゃなさそうなので内科にいったところ、黄砂の影響かもと言われアレルギーの薬と抗生物質など出してもらったのですが、飲んだらだいぶ楽なりました。

 

身体がしんどいと、引きづられて精神的にもしんどくなるんですねえ。

病は気からといいますが逆も然りで、病から気が病んでしまいました。

 

 

体調が良くない日が続いたせいで、仕事だったり家のことだったり、しなければいけないことがいろいろと溜まっています。

この週末にこなしていこうと思っていたんですが、どうも気持ちが乗らなかったり、なにをどうしていいのかわからず、最初の一歩が踏み出せずにいます。

結果、時間だけが過ぎていき、何もできなかったこと、何もできなかった自分を責め、辛くなっています。

いや、実際にはできたこともあるんと思います、少ないですけど。

でもオレの性格上、できたことには目を向けず、できなかったことにばかり目を向けて、自分を責めてしまうんですよねえ。

 

今日のtodoを書き出したんですが、できないまま残っているtodoがあって、できないことにイライラが募り、できないことに頭が混乱しています。

 

ああ、もう今日は休もう。
目の前のことから逃げてしまおう。
今の自分に必要なのは休息。
休息して、しっかりと充電して、また明日からがんばろうと思います。

 

逃げないことは素晴らしいし立派だと思うけど、オレはりっぱな人間じゃないし、弱い。
自分の弱さを認め、受け入れよう。

 

まいいか、なんとかなるさ。

 

読んでいただき、ありがとうございます。

「独りの時間」が自分を取り戻してくれる。

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こんにちは。

今日は体調普通です。

前回のブログ約一ヶ月。
その間、1日だけ休んでしまいましたが、翌日から気持ちを切り替えて、休んだ分を取り返すべく、がんばれています。

 

 

気がつけば、ゴールデンウィークがもう終わりますね!
まあ、土日+1日が休みだっただけなので、オレにはあまり関係なかったんですが・・・

いや、でも、周りが休みの時に働くのは、結構好きだったりするんですよね。
出勤時の人の少なさだったり、いつも違う「休日」な空気感だったり、仕事もいつもほど忙しくなく、自分のペースで進めやすかったりと、いつもと違った気分になるので。

仕事に追われることなく、自分のペースで進められると、落ち着いて仕事ができるんですよね。

 

 

ゴールデンウィーク中、妻と子が実家に帰省し、ひさしぶりの独りになれる時間ができました。

年に数回の独りになれる時間なので、ちょっと本屋巡りでもしようと電車で出かけました。

乗ったことのない電車に揺られ、ぼんやりと景色を眺め、泣きじゃくる小さな子をあやすお母さんに、「がんばって!」と心のなかで思ったり。

 

そんな風に、独りでブラブラしてみて、改めて感じました。

「やっぱり、オレは独りが好きなんだ」

 

そういえば、昔から集団が苦手で、ひとりで行動することが多かった。
学生時代、買い物に行くのも独りだった。
だれかと買い物に行くと、自分のペースで動けない、他人を自分のペースに合わせてしまうことが申し訳ない、他人のペースに合わせないといけないなど、誰かといることの楽しさよりも、煩わしさだったり、独りでいることの気楽さを優先させていました。

 

うん、気楽さという要素は、結構大きいかもしれない。
自分の考えを押し付ける、他人の考えを押し付けられる、その両方共がとっても嫌で(小さい頃、他人の考えを嫌という程押し付けられてきたから)、そういうことを考えなくていい「独り」という状態が、誰にも迷惑をかけないし、かけられないし、気楽なんだと思う。

 

誰かといることが楽しいと思うこともあるけれど、でも、基本、オレは独りでいたい人間なんだろう。
オレは、独りになることで、消耗した精神力を充電し、本来の自分を取り戻すんだろうなあ。

 

人は、誰かといることで充電できる人間と、独りになることで充電できる人間がいて、オレは後者なんだと思う。

 

ひさしぶりの独りの時間。
しっかりと充電できたので、また明日からがんばろうと思います。
がんばりすぎず、ぼちぼちと。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

相談ができなかった。

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こんにちは。
今日は体調普通です。

 

先週、抑うつ感と倦怠感があり、1日仕事を休んでしまいました。
朝起きて、最初に倦怠感を感じ、そこから徐々に抑うつ感と億劫感が強くなってきたので、無理せず仕事を休むことにしました。

がんばれば行けたと思うのですが、そんな風に思うこと自体が体調が良くない証拠なので、無理せず大事を取って休むことにしました。

ここで無理してがんばってしまい、もっと長期的に休んでしまっては元も子もないので。

 

休みの電話を入れた後、休みを告げた同僚の態度がいつもより冷たく感じたり、急に仕事を休んでしまうことを申し訳なく思ったり。

でも、これはうつのせいだから、今感じる気持ちを重く捉えすぎないようにと意識して、これ以上落ち込まないように、自分をコントロールすることができました。

 

 

今日、カウンセリングに行ってきました。

そこで「最近、行き詰まっていたことがあったんですが、同僚に相談することができました。」と伝えたところ、

「相談できたんですね!身体を壊す前は、相談することができなかったのにねえ。」と言われました。

そこで改めて、オレは他人に相談できるようになったんだと気がつきました。

 

小さい頃、人間関係でいろんな嫌なことがあって、人間を信用、信頼できなくなって、自分を守るために心を閉ざして生きてきました。

他人から心を傷つけられることがたくさんあって、そんな中で自分の心を守る術として身につけたのが、心を閉ざすことでした。

心のドアをしっかりと閉めることで、自分の内面を出さないようにしつつ、他人の心無い言葉などが入ってこないようにして、心が傷つかないようにしていました。

そんなふうにしてずっと生きてきたので、困ったことがあっても他人に相談することなく、自分でなんとかして生きてきました。

 

でも、うつになって、自分だけではどうしようもなくなって、誰かを頼らざるをえなくなりました。そんな中、妻やカウンセリングの先生に、ずっと閉じたままだった心をドアを開いたことで、少しずつ他人を信用、信頼できるようになって(もちろん、信用、信頼できるのは、本当に限られた人だけですが)、自分の内面を出して相談することができるようになりました。

 

世の中の大多数の人は、ある程度は他人に対して信頼を感じることができ、心を閉ざしてしまうほど人間不信にはならないんじゃないだろうか。

だから、簡単に(実際どうなのかはわからないけど、少なからずオレからはそう見える)相談することができるんだろうなあ。

 

普通の人は、他人を信用できなくなったり、心を閉ざしてしまいたくなるほどに辛いことって、ないのかなあ。

それとも、オレと同じように他人を信頼できなくなったり、辛いことはあるけど、心を閉ざしてしまうほどに辛いと感じることはないのかなあ。

 

普通というのは、そもそも生きやすいのか。
それとも、オレが生きにくいだけなのか。
いや、両方なのか。

 

 

今、少ないけれど、信頼できる人ができて、その人には少しだけど心を開けるようになってきました。

そして、相談もできるようになりました。(まあ、気軽になんでも、ってわけでもないですけど。)

中学生ぐらいの頃と比べると、だいぶ楽に生きられるようになったんじゃないかなあ。

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

抑うつ感に襲われて、改めて気がつく心のメンテナンス。

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こんばんは。
今日は体調、まずまずです。


気がついたら前回の投稿から2ヶ月以上。
この間、まあそれなりに忙しく、それなりにいろんなことがありましたが、でもまあななんとか生きています。

 

2月、抑うつ感が酷い日があって、ひさしぶりに仕事を2日間休みました。
がんばれば仕事に行けたんだろうと思いますが、そんな風に思う時点で体調が良くない証拠。無理せず休むことにしました。

抑うつ感や精神的にしんどい時に一番有効なのは、オレの場合は、ゆっくり休むことです。
ゆっくり眠る、好きなことをする、お風呂に浸かる、だらだらとテレビを見る、何もせず、生産性もなくただただ、時間を無駄に過ごす。
そんな風にして自分をケアしてあげると、バッテリー切れの身体にしっかりと充電することができます。

人間は機械じゃないから、ずっとがんばり続けることはできない。
いや、機械でも定期的にメンテナンスをしてあげないと、壊れてしまう。
人間は機械以上に定期的なメンテナンスをしてあげないと。

 

今のオレは、だいぶ体調が良くなってきていますが、朝起きて突然抑うつ感に襲われることがあります。
そんな時は、たいてい油断して自分のメンテナンスを怠っていた時。
そして、そんな日があることで、改めて気を引き締めようと思います。

 

人間、どうしても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というやつで、辛いことはすぐに忘れてしまうものですからね。
(しかし、辛いことを忘れられるから生きていける、ともいえますが。)

まあ、”いい加減”に気を引き締めつつ、ぼちぼちがんばっていこうと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

やるかやらないかを、はっきりさせたほうがいい。

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あけましておめでとうございます。

早いもので、もう8日。
12月は何かと忙しく、1日、1週間、そして1ヶ月があっという間に過ぎてしまった感じです。
気がついたら、クリスマスで、気がついたら大晦日。
そして、お正月で、今に至る。

 

毎日毎日、その時を、ときに一生懸命に、ときに怠けてダラダラと生きているうちに、気がついたら長い時間が過ぎていました。

常に全力で、常に一生懸命で、常にがんばって。
そんな生き方は理想だろうけど、でも実際にはそんなことはできなくて。

小さい頃から、がんばれだとか、本気出せとか、やればできるとか、やる気出せとか、積極的にとか言われて、そうできない自分はダメなんだと周りからはもちろん自分でも、そう思うようになっていた。

今思えば、なんと愚かな、精神論、根性論だと思う。
精神論、根性論を全否定するつもりはない。
最終的に差が出るのは、精神力だし根性だと思う。
でも、それはあくまで"最終的"にであって、徹頭徹尾、最初から精神論や根性論でやっていたら体も心ももたないし、同時にもっといろんなことも伝えるべきなんじゃないかと思う。

一生懸命だったり、怠けてダラダラしたり。それでいいんだよなあと、今はすこし思えるようになりました。

 

今日、今年最初のカウンセリングに行ってきました。

年末年始の休みが終わり、仕事始めから忙しい日々ですが、特に忙しくしている部署があり、そこをなにも手伝えない自分がもどかしいというか、申し訳ない気持ちになるという話をしました。

もどかしさ、申し訳無いという気持ちの根底にあるものは何なのか振り返ってみると、自分の仕事が結果が出ていないことだったり、そんな自分を周りはどう見ているかということを気にしている自分に気がつきました。

そんな中で、先生から「やるかやらないかをはっきりさせたほうがいい」と言われました。

「どんな理由があるにせよ、優柔不断にどっち付かずなのが、周りも困惑するから」と。

そうなんだよなあ、今のオレはどっちつかずで、周りの目を気にしすぎている。

忙しい部署を手伝うなら、とにかく手伝う。周りの目なんか気にせず、できることを手伝う。

手伝わないなら、今自分ができることを、とにかくがんばる。

手伝うか手伝わないかの判断は、今のオレがはたしてできるのか(それは、スキル的にだったり、時間的にだったり、精神的にだったり)、できないのかを明確にすること。

 

多分、今のオレには手伝うことは難しいかなあ・・・

でもまだ、そこをはっきりとさせることができていません。
モヤモヤとしていますが、もう少し考えてみようと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。